”左手のピアニスト”館野泉(たてのいずみ)さんは2019年現在83歳、65歳の時、フィンランドでのコンサート最中に舞台上で脳卒中をおこし倒れてしまった。そのことが原因で右半身に麻痺が残ってしまいます。そこからの復活劇や”左手のピアニスト”館野泉(たてのいずみ)誕生に至るまでが運命としか思えない。
今回はそんな”左手のピアニスト”館野泉(たてのいずみ)さん復活に至るまでについて色々と調べてみました。ヴァイオリニストの息子ヤンネさんとの共演動画等も交えて作品などもご紹介いたしますね。
”左手のピアニスト”館野泉(たてのいずみ)さんですが、2019年12月28日(土)22時00分~EテレNHK放送『SWITCHインタビュー 達人達(たち)・選「舘野泉×中村桂子」』に出演しますのでご興味がありましたらそちらも見てみてください♪
スポンサーリンク
もくじ
”左手のピアニスト”館野泉(たてのいずみ)さんプロフィール・経歴
名前 :館野泉(たての いずみ)
生年月日:1936年11月10日(2019年現在83歳)
出身地 :日本東京府東京市目黒区自由が丘
学歴 :慶應義塾高等学校、東京藝術大学音楽学部ピアノ科
職業 :ピアニスト(クラシック音楽)
引用:https://mainichi.jp/classic/articles/20160312/dde/041/070/036000c
館野泉(たての いずみ)さんは自身の父母兄弟含め、自身の家族みんな代々音楽家族なんです。
父(舘野弘)はチェリスト。母舘野光(小野光)はピアニスト。
弟(舘野英司)はチェリスト。妹(鍋島晶子)はヴァイオリニスト。
末妹(広瀬悠子)はピアニスト。妹晶子の長女(鍋島真理)は音楽学者。
妻のマリア・ホロパイネンはフィンランド人のソプラノ歌手。
息子のヤンネ舘野はヴァイオリニスト。
上の写真はヴァイオリニストの息子ヤンネさんとチェリストの弟英司さんです。
この音楽家族に育った館野泉(たての いずみ)さんですが、1936年、4人兄弟の長男として生まれ、5歳でピアノを本格的に習い始めました。両親から強制されたわけではなく、弟も二人の妹も、当たり前のように楽器に親しんだと言いいます。
そして両親についてはこうも言っています。
「両親は日本における洋楽の第一世代、“開拓者” たちです。当時、高い技術を習得できるような環境ではなく、教えてくれる人も少なかった。でも音楽が好きでたまらない人たちでした」
戦後暫くしてから、両親はピアノ教室を開いた。両親は生徒たちのレッスンがあるので、4人の子どもたちはピアノを弾くことができなかった。そんな時には、「好きなことしてきなさい」と親に言われて、「外で野球をして遊んだり、好きな本を読んだり。とても素敵な日々でした」といっています。
とにかくこの内容だけでも、音楽をこよなく愛するご両親の元で育ったことがわかりますよね。本当に素敵です。
そして1960年、東京芸術大学を首席で卒業。同年デビューリサイタルを開きます。
その翌年には半年感にわたり北欧やソ連、ドイツ、フランスを気ままに旅をしています。
そしてその4年後の1964年にフィンランドの首都ヘルシンキに移住を決めます。
スポンサーリンク
館野泉(たての いずみ)さんがフィンランド”ヘルシンキ”に移住を決めた理由とは?
引用:https://coco-machi.jp/guide/helsinki/
どうしてそんな「世界の果て」まで行くのか?それが周囲の反応だったと言います。
当時の北欧は音楽の世界では「マイナー」で、音楽の勉強やキャリアを積むなら、ドイツやオーストリア、フランス、イタリアなどが「常識」だったからです。
「そもそもその当時には音楽を勉強しに外国へ行くという発想はなかったし、西洋音楽の伝統が強い国には行きたくなかった。価値観に縛られるのが嫌で…。日本からも離れて、周りから雑音が入らない場所で、自分一人になってみたかった。新しいさまざまな出会いが全部、自分の中から生まれる音に表れると思っていました。それに北への憧れがありました」 引用:https://www.nippon.com/ja/people/e00167/
北への憧れが館野泉(たての いずみ)さんを北欧に導いたんですね。
学生の時に、ノルウェー作家の文庫や北欧文学をよんだ事がキッカケで北欧への興味をもったみたいで、その後はペンフレンドを求めて北欧の4か国に実際に手紙をだした様で、その時にはフィンランドの方からのみ返信があったみたいです。
そして、フィンランドに移住を決めた時も別にあてがあったわけでもなく、ペンフレンドを通じて様々な出会いが切れ開けていったと語っています。
その時に音楽の仕事を通じて今の妻(マリア・ホロパイネン)さんと出会った様ですよ。
しかし、本当に行動力がありますよね。
実際、自身のご両親の事を”開拓者”と言っていますが、十分に館野泉(たての いずみ)さんも血を受け継いでらっしゃると思います笑)
スポンサーリンク
”左手のピアニスト”館野泉(たての いずみ)さんが復活出来た理由とは?
”左手のピアニスト”館野泉(たての いずみ)さんは実際は超前向きな性格の方なんです。
病気で倒れた時には、皆口々に、〝辛かったでしょう〟〝大変でしたね〟と言われた様で、でも当の本人は、気に病みもしなかったし、絶望もしなかったおっしゃっています。
普通の方なら、自由が効かなくて好きなピアノもままならないとなると、落ち込んでしまうとこだとおもうのですが…
そして自身の生き方を綴った著書『絶望している暇はない』(小学館)では下記の様に書かれていました。
本当にポジティブな方ですよね。どうしたら、こんな風になれるんだろう…
そして、”左手のピアニスト”館野泉(たての いずみ)さんが誕生するキッカケとなったのが、病から丁度一年が経過した頃にヴァイオリニストの息子であるヤンネさんが持ってきたある楽譜がキッカケでした。
それが、イギリスの作曲家ブリッジの『左手のための三つのインプロヴィゼーション』
この楽譜をみた瞬間に館野泉(たての いずみ)さんは急にピアノを弾きたくなって、憑かれたように弾いたと言います。
そして自分の目の前に、『左手の音楽』という見たこともない新しい世界が開けてきたと言います。
それを語っている動画がありましたので、見てみてくださいね^^
左手のピアニスト 「舘野泉80歳へのプロジェクト」
ポジティブなメンタルを持った館野泉(たての いずみ)さんと父親を想うヴァイオリニストの息子ヤンネさんの行動から生まれた奇跡ですよね。
とてもいい感動のエピソードでだと思いました。
スポンサーリンク
”左手のピアニスト”館野泉(たての いずみ)さん演奏動画。
舘野泉&ヤンネ舘野 2nd デュオ・リサイタル in 自由が丘 (月瀬ホール)
息子のヤンネさんとの父と子のリサイタルです♪とっても素敵な演奏ですよ~:)
ジャパン・アーツ スペシャル・コンサート 舘野泉「光永浩一郎:サムライ(舘野泉に捧ぐ)」
左手だけで奏でてるとは思えませんね。
本当に聞き惚れてしまう演奏です…
”左手のピアニスト”館野泉(たての いずみ)さん まとめ。
”左手のピアニスト”館野泉(たての いずみ)さんについて色々と書いていきましたが如何でしたでしょうか?
- ”左手のピアニスト”館野泉(たてのいずみ)さんプロフィール・経歴
- 館野泉(たての いずみ)さんがフィンランド”ヘルシンキ”に移住を決めた理由とは?
- ”左手のピアニスト”館野泉(たての いずみ)さんが復活出来た理由とは?
- ”左手のピアニスト”館野泉(たての いずみ)さん演奏動画。
- ”左手のピアニスト”館野泉(たての いずみ)さん まとめ。
83歳と高齢ではありますが、まだまだ演奏を続けていきたいという、”左手のピアニスト”館野泉(たての いずみ)さんですが、これからも沢山の人達に感動を与えていって頂きたいですね!
冒頭でもお伝えしましたが、2019年12月28日(土)22時00分~EテレNHK放送『SWITCHインタビュー 達人達(たち)・選「舘野泉×中村桂子」』に出演しますのでご興味がありましたら見てみてください。
最後まで読んで頂き有難うございました。