こんにちは!YUMEです。
2022年2月6日放送の情熱大陸に写真家/西野壮平(にしのそうへい)さんが登場するということなので、どういう方なのか?調べてみました。
・写真家/西野壮平wikiプロフ経歴!
・写真家/西野壮平サッカー日本代表からの挫折とは?
・写真家/西野壮平大学コミュ障を経て写真家へ!きっかけまとめ。
こらについて一緒に見ていきましょう☆
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写真家/西野壮平wikiプロフ経歴!
写真家/西野壮平(にしのそうへい)さんについてまずどういった方なのか?見ていきましょう。
写真家/西野壮平(にしのそうへい)wikiプロフィール。
引用:https://www.instagram.com/p/CXYDSJNPb_a/
名前:西野壮平(にしのそうへい)
生年月日:1982年
年齢:39歳
出身:兵庫県
職業:写真家
【 歩くこと、旅を通して得た個人的体験をもとに作品を制作している。】
写真家/西野壮平(にしのそうへい)経歴。
1982年兵庫県生まれ。
大阪芸術大学写真学科を2004年に卒業。
卒業作品の為、制作資金を稼ぐために3つバイトを掛け持ちし、作り上げた、大阪、京都、東京などの都市作品を作り発表。
その作品をそのままcanonの写真新世紀に応募すると、それが優秀賞を受賞する。
そこから、本格的にこの道で行こうと決心し作品創りを本格化します。
個展
2016年 「New Work:Sohei Nishino Exhibition」サンフランシスコ近代美術館
2020年 「東海道」MITSUKOSHI CONTEMPORARY GALLERY、東京
ほか展覧会多数
受賞
2004年 大阪芸術大学卒業制作展 学長賞
2005年 JPS企画展ヤングアイ 日本写真家協会会長賞
2005年 Canon写真新世紀 南條史生氏選優秀賞
2013年 日本写真協会賞新人賞
2013年 Foam Talents Call 2013
2017年 Prix Pictet 「SPACE」 Finalist
2018年 MAST Foundation Photography Grant
世界中を旅し歩くこと、旅から得た個人的体験をもとに作品を制作しているといいます。
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写真家/西野壮平サッカー日本代表からの挫折とは?
写真家/西野壮平(にしのそうへい)さん実は小学生の頃からサッカーをしていたそうなのですが、なんと6年生の頃に日本代表に選抜された事があるそうなんです!
引用:https://www.instagram.com/sohei_nishino/
凄いですよね!
その日本代表は西野壮平さん曰くサッカー雑誌企画のJリーグ下部組織から選抜されたもので、公式のものではなかったといいます。
いやいや、十分凄い事ですよね!だいぶ謙遜されていますが。
一時は上手くいって本気でサッカー選手を目指しますが、中学に入ってからは成長期が遅く周囲と比較してフィジカルが弱かった事から、どんどん周りの選手に追い抜かされてしまったのだとか…
それからは中3になるころには、プロのサッカー選手を目指していた少年が、『サッカーなんて…』って気持ちになってしまったといいます。
それでもめげずに高校に進学してからも諦めずに強豪クラブに入るも、本当について行けなくなってしまい、サッカーじたいを辞めてしまったんだといいます。
とてもつらい挫折ですよね。
サッカーに明け暮れていた西野壮平さんですが突然やることが無くなってしまって途方にくれていた時に、もともと好きだった90sのHIPHOPやストリートカルチャーにドハマりしクラブやライブに積極的に通ったといいます。
その事がきっかけでクリエイティブ仲間が出来、その流れからグラフィティーアートにも興味が湧いてきたといいます。
そこからグラフィティーや絵の基礎を学ぼうと決めデッサンを始めたといいます。
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写真家/西野壮平大学コミュ障を経て写真家へ!きっかけまとめ。
写真家/西野壮平(にしのそうへい)さん大阪芸術大学写真学科に進学しデッサンの基礎を学んでいたのですが、ある時、大学で学ぶこと自体に憤りを感じるようになってしまいました。
更にそこに追い打ちをかける様に、他者との人間関係もうまくいっていない時期が重なってしまい、色々な物事において西野壮平さんはコミュニケーションがうまくできない時期だったそうです。
それで、よく学校をサボるようになってしまい、人目も避けたい、距離をおきたいという思いから、人気のない屋上や非常階段など警備員が来ないような高い場所を探しながら日々を過ごしていたといいます。
その時の想いについてこう語っていました。
いわゆる高いところを探して歩いてたのは、ただ、人から離れようとした行為なんです。特にどこが良かったというよりは、一人になれる場所、上を見上げれば空しかないみたいな。自分の体をくうっと持ち上げたいというか、空中から世界を見たいというか、そうすることで、ほっとするという。誰もいない高い場所なら、自分の目の前にある世界を客観的に見れるような気がしたんですね。そのときから、都市を構造体というか空間というか、意識的に捉えるようになりました。
引用:https://www.vice.com/ja/article/8xd89a/newage-photographer-13-souhei-nishino
ちょうどその年頃って将来に対しても人間関係にしても敏感になる時期ですよね。
とても解かります。
西野壮平さんはその頃、高いところを探しては3,4時間かけて写真を撮っていたそうなんです。色々な距離感やアングルなどバラバラに風景写真を撮って、それをハガキサイズの紙に貼り合わせて初期の作品を制作したそうなんです。
引用:http://geidai-blog.jp/2016/12/01-2.html
現在の作品の原点が、この頃に創った作品なんですね。
西野さんは学生の頃、フィルム1本分の写真を印画紙上に並べて作成した「コンタクトシート」に着目されたそうです。
これは、ネガフィルムよりもわかりやすく、撮影した写真を一覧で確認することができるシート。
自分が歩いた痕跡が1枚になっているのが面白いと感じられた西野さんは、この連続性を活かして作品を表現するようになったのだそう。
この表現方法が、「Diorama Map」シリーズに繋がります。引用:http://geidai-blog.jp/2016/12/01-2.html
そして、その頃に写真家/西野壮平(にしのそうへい)さんが最も心に突き刺さる出来事を経験します。
それが、ある知り合いのあばあさんから聞いた四国のお遍路さん(弘法大師(空海)の 足跡をたどり、八十八ヶ所の霊場を巡拝すること)の話でした。
そのおばあさんは身内に不幸があり、その供養としてお遍路をしたそうなんです。歩くことで何かを忘れていく、無になっていく作業が出来たのだといいます。
この話をきいた西野壮平さんは思い立ってその4日後に寝袋とテントをもって自身もお遍路に向かいます。
その行為にピンときた西野壮平さんは今まではデッサンでただ部屋にこもっているだけ、しかし、お遍路をした事で、ただただ歩くことの楽しさ、変わっていく景色、出会っていく物事、自身の足元、そのたわいのない一日を歩いた軌跡を記録したもの、それこそが写真であると実感したんだといいます。
まさにこのお遍路をしたことが西野壮平さんに大きな影響を与えたんですね。
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写真家/西野壮平に関するまとめ。
2022年2月6日放送の情熱大陸に写真家/西野壮平(にしのそうへい)さんが登場するということなのでこれらについて調べてまとめてみました。
・写真家/西野壮平wikiプロフ経歴!
・写真家/西野壮平サッカー日本代表からの挫折とは?
・写真家/西野壮平大学コミュ障を経て写真家へ!きっかけまとめ。
最後まで読んでいただきありがとうございました。